日常

2020年08月27日

母の死 ⑥母がいない(ラスト)

家に帰るとフミが玄関で出迎えてくれる。
ごめんね、お母さんもう帰ってこないんだ。

2階に上がるとテンちゃんが撫で待ちしている。
ごめんね、お母さんもう撫でてくれないんだ。

猫は母が死んだことなんて知らない。
猫はもう母に会えないし、
母ももう猫に会えない。

ごめんね、としか言ってやれなかった。
それがどうしようもなく悲しかった。


父は、ボーッとしてしまって何も手につかない。
想定の範囲内だ。
親族と知人に死亡の連絡をし、
予約していた葬儀社と打合せをする。

火葬場が混んでいて、葬儀は少し先になった。
遺体が劣化してしまう。
オシャレが好きな人だったから、
最後は絶対に綺麗にしてあげたい。
エンバーミングはつけよう。
高いけどこれは譲れない。


エンバーミング用に母の化粧品を持っていったり
棺の母に会いに行ったり
棺に入れるものを準備しているうちに
葬儀の日を迎えた。

母は抗がん剤の副作用の味覚障害で
半年ほど好きなものを食べられなかった。
好きな食べ物を思い付くだけ買って
前日に綺麗な和紙に包んで
葬儀当日に棺に入れた。
食いしん坊みたいになった。

母は葬儀で使うような花が
あまり好きじゃなかったから、
母の好きな花と
母の実家の近くに昔生えていた花を買って
棺に足した。
明るくて楽しげな雰囲気になった。

生前撮りに行ったデータで作った遺影は
とても綺麗で優しい顔をしていた。
撮りに行っておいて良かった。

無宗教でお坊さんや読経はないので、
母が好きだったボサノバをかけた。
穏やかな空間の式になった。

最後、棺にカラーマジックで
母へのメッセージと猫の絵を描いた。
病院では声にならなかったから、
感謝の気持ちと別れの言葉をたくさん書いた。

仙台の時と違い、火葬場の火力が強いので
母はすぐに骨になってしまった。

骨を拾う時に大きいチタンの人工関節や
ボルトが出てきた。
こんなものを入れないと母は生活ができなかった。
20回も手術をしていた。
なぜ、この苦労が報われないのか。
骨を拾いながら、また悔しくなった。

母の葬儀が終わると、梅雨が開けた。


私にとって骨壺は母ではない。
骨は骨でそこに母はいない。
返事もしてくれないし、
仮に骨に魂が縛られてしまっていたら
いずれ埋められてしまうので気の毒だ。

だから、母はもうどこにもいないのだ。

母が使いやすいようにリフォームして
調理台ばかりバカでかい変なLDKにも、
寝室のベッドにも、
いつも座ってる椅子にも、
一緒に買い物に行ったデパートにも、
共に過ごした街にも、
誇りを持って働いていた職場に通う道にも、
みんなで散歩をした道にも、
どこにもいなくなってしまった。

目に入る場所はどこもかしこも母がいた場所なのに
母がいた痕跡はたくさんあるのに、
そのどこにも母がいない。

あと何十年かはいるはずだったのに、
なぜ母はここにいないのだろう。

母がいた時に聞こえていた生活音がしないから
実家にいるのに違和感しかなかった。

それでも生前母に頼まれていたから、
毎日母の遺品整理と実家の断捨離をした。
妹もちょくちょく来て手伝ってくれる。

よく服を一緒に買いに行っていたので
どの洋服を見ても見覚えがあり、
一緒に買った記憶がある。
着ていたシーンもやりとりも覚えていて、
記憶は微笑ましいのに肝心の母はいない。

これが人が死ぬということなのだ。


母の代わりにはなれないけど、
できるだけ猫を呼ぶ。

テンちゃんを撫でる。
テンちゃんはゴロゴロ喉を鳴らす。
フミを呼ぶ。
フミは私が呼ぶと怒る。
でも無視しても怒るから、母の分も呼ぶ。

フミ、テンちゃん、お母さんいないね。
いなくなっちゃったね。
でもずっと大切にするから、長生きしてね。
それでいつか、天国的なところに行くなら、
その時はお母さんによろしくね。



母はまだ死ぬには若かったと思う。
私は今でも悔しいと思っているし、
もしも神様がいて見えたなら、
やはり同じことを言うだろう。

「クソかよ」


それでも、死ぬまでにたくさんの準備ができた。
残りの時間は大切に噛み締めることができた。
母の希望に沿うことができた。
取り乱すことなく、母に寄り添うことができた。

後悔がないというのが救いだ。


なにはともあれ、
母の子どもとして産まれたことに感謝する。
育ててくれたことに感謝する。
頼ってくれたことに、遺してくれたものに、
母の全てに感謝する。

どうか、安らかに。
変な言い方だけど、お元気で。
お母さん、今までずっとありがとう。

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2020年08月26日

母の死 ⑤死

母が救急車で病院に運ばれた翌日、
風呂を出て、晩ごはんを食べようという時に
病院から電話がかかってきた。

脈と呼吸の値が下がってきて
もしかしたら危ないかもしれない。
…と。

急いで支度をして、父と車に乗り、
途中、妹を拾って病院に向かった。

病室の母はひどく苦しそうだったが、
意識は辛うじてあった。
少し会話をすると、受け答えがキツくなってきた。

母が必死に何かを伝えようとするのだが、
酸素マスクが邪魔だし、
先ほどから泥酔した人のように
色んなものの区別がつかなくなってきている。
そんな状態でなかなか聞けない。

「なぁに?ゆっくりでいいよ?」
と声をかけると

「先生に…言って…」
と返ってきた。
何を言うのだろう。
どこか苦しさに変化があったのか、
モルヒネの依頼か。

「うん、言うよ。なんて言えばいい?」

「ねこ…猫が、2匹いますって…」

…猫?

「猫のこと…ちゃんと伝えて。オスとメスで…」

もうゴチャゴチャなんだなと察した。
先生は医師で獣医さんではない。
意識が混濁してきて、
夢と現実と色んな情報が混ざってる。
それでも、とにかく猫が心配なのだ。
なんとか猫のことを伝えなくてはという、
母の強い意思がギリギリ母の口を動かしてる。

「うん、伝えるよ。猫が2匹いますって
 大丈夫、ちゃんと伝えるし、ずっとお世話するよ」

母が動きを止める。
ここに私たちがいると、
きっと母はずっと頑張ってしまう。
私たちは母に、
「おやすみ」と言って病室を出た。
妹はずっと涙を流していた。


夜の10時になろうとしていた。
実家にも妹の家にも猫がいる。
母がどれだけもつのかはわからないが、
猫に翌朝の朝ごはんは必要だ。
なので病院に私が残り、
それぞれの家主は一度帰ることになった。

常夜灯が思いの外明るく、
母の表情がよく見える。
苦しいのだろう、
呼吸に辛そうな声が混ざっており、
無意識に両手を顔の前で何度も動かしている。

夜中の2時くらいになると
苦しそうな呼吸がなくなった。
ゆっくり静かに息をしている。
動かしていた手も止まって下ろしていた。

とても静かだった。
動きもなく、呼吸もゆっくりすぎて、
生きているのかよくわからなくなってきた。

ベッド横の生体情報モニタの数字が
母がまだ生きてる証のようだった。
その数字が少しずつ小さくなっていく。
あぁ、終える準備なんだな…と
画面をずっとボンヤリ眺めていた。

朝方、脈が40を切り呼吸が一桁になる。
家族に電話をした。


家族を待っている間、医師が、
聴覚は最後まで残りやすいと言われてるから、
声をかけてあげていいですよ
…と言っていたのだが、
これが、驚くほど声がでない。

おい、誰だドラマや漫画で
「おかぁさーーーーん!!!!!」
みたいに泣き叫んでたやつ。

出ない出ない。
何度話しかけようとしても震えて
かすれて全く声にならない。

これだけは言っておかないとと思い、
なんとか絞り出して、ようやく

「お母さんありがとね」

と一言だけ言えた。
空気かよ。と思うくらい、
我ながらひどい声だった。
しかもその瞬間、母の呼吸が0になってしまった。

焦った。

…おい、先生、
声をかけたら呼吸が止まったぞ?
本当にこれは正解なのか?

看護師さんが急いできて
酸素濃度を上げる。
これで生存確認は脈のみになってしまった。

その脈もどんどん減っていく。

待ってよお母さん、
もうすぐ父と妹が着くんだよ。
もう少しだけ待ってよ。頼むよ。

死なないでとは思えなかった。
だってこれは絶対死ぬやつなのだ。
でも、あと少しだけ待ってほしかった。
母の指を握って、
例の声にならない声で、
何度も小さく「待って」と繰り返した。

モニタの数字が0になって、
装置からけたたましくアラームが鳴る。
他のところでもコールがあるのか、
看護師さんはまだ来ない。
アラームがうるさい。

雨が振りだした。

雨の音が気になるが、
とにかくアラームがうるさい。
母はまだ温かいけど、
脈も呼吸も0だ。
頸動脈に手を当ててもピクリともしない。
音の止め方がわからない。

…アラームがうるせぇ。

ずっと
「死んだよーーー!!!」
と言われているみたいで
このアラームが不快でたまらない。

目覚まし時計のごとく壊してやろうかと
衝動的にモニタに近寄ったところで
ようやく急いだ様子の看護師さんが来た。


母は心停止の際は蘇生活動はしなくていいと
誓約書にもサインをしていたので、
そのままご臨終となった。


少しして父と妹が到着した。
母はまだ少し温かかった。


色々と手続きをして、
母の支度を整え、寝台車に乗せる頃には、
さっきまで降っていた雨が止んで、
アホみたいに晴れていた。

太陽が出て朝露がきらきらして、
外は少し眩しかった。

…人生の門出かなにかか?

死んだタイミングで雨が降りだし、
出発のタイミングで晴れわたる。
なんかすごく理不尽な気がしてきた。

なんの門出だ?(クソかよ)


久しぶりの徹夜と謎の不条理さが相まって
なんだかとても疲れた。

朝日が、朝露に反射しまくる光が、
晴れ渡る空が、徹夜明けの目にしみる。
涙はまだ出ない。

ひどい気分だった。


帰って猫に伝えなければ。

フミ、テンちゃん、
お母さん死んじゃったよ。


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2020年08月25日

母の死 ④治療の終わり

5月、入院中の母から呼ばれ病院に行った。
担当医と今後の治療についての話だった。

ここで言う「今後の治療」というのは
「もうそろそろ有効な治療がない」
ということを意味する。

医師の説明は端的に言うと、
今後ガンがめちゃ早く進行して
元のガンより転移先の肝臓が悪くなり、
肝機能障害(もしくは破裂)で多分死ぬ。
みたいな感じだった。

…破裂だと…?
怖すぎる。


これが最後という抗がん剤も効果なく、
抗がん剤治療がお手上げになってしまうと
医師の言うとおり母のガンの進行は早かった。

死亡後の手続きを任されていたので、
母と死亡時の行動を再度打ち合わせした。
人生で最悪の打ち合わせだと思う。


7月上旬、
調子が良くないと言って検査に行ったら
そのまま緊急入院になってしまった。
そのまま、もう帰れないという話だったが、
さすがに猫にお別れも言っていないので
何としてでも1度は家に帰りたいと
母が希望した。
もう病院で治療できることもなかったので、
麻酔テープみたいなものを貼って
自宅療養に切り替えてもらった。

中旬の週末、母が帰ってきた。
猫が喜ぶ。
テンちゃんはお母さんっ子だから
特に喜んでいた。
母も猫たちをとても愛していて、
フミにはよく話しかけ、(触ると怒る)
テンちゃんのことはたくさん撫でていた。

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なんやかんやでこの2匹は母が好きだ。


母はもうほとんど食事ができなくなっていて
具合も悪いし、ほとんどをベッドで過ごした。
猫もベッドに行って一緒に寝ていた。
不思議なことに、母が寝る時はいつも、
お父さんっ子のフミも母のベッドに行く。

母はいつも暑いと文句を言うが、
まんざらでもないようだった。

それでも、みるみる母の体調は悪くなり
木曜には限界と言い、
金曜朝に病院に戻ることになった。

家での最後の夜も
猫はいつも通り母に寄っていく。
母もいつも通り猫と過ごす。
でも、これが最後なのだ。
母は最後だと思いながら話しかけ、
別れを惜しみながら猫を撫でる。
フミはいつも通りワガママを言い、
テンちゃんもいつも通り喉を鳴らしていた。

こんなにもお互いが大切なのに、
どうして、この子たちが
母を失わなければいけないのか、
どうして母がこの子たちと
お別れしないといけないのかわからなかった。

テンちゃんがゴロゴロ言っている。
テンちゃん、お母さんバイバイなんだって。
フミ、一緒に寝るのこれが最後なんだってさ。


そうして翌朝、立つこともできなくなり、
結局、救急車を呼んで私と母は家を出た。
母はもう二度と帰ってこない。
猫はいつも通り2階で寝ている。


病院に向かう途中、母に
「家に帰れてよかった?」
と聞いたら、呂律のまわらなくなった口で
猫にまた会えて、
ちゃんとお別れできたからよかった
というようなことを答えてくれた。

ガンと知らされてから、ずっとずっと、
母の心残りは猫たちだった。
きっと心の支えも猫たちだった。


フミ、テンちゃん、
お母さんバイバイだよ。









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2020年08月24日

母の死 ③終活と祖母の死

母のがん治療が始まってしばらくして、
仙台の叔母から連絡が来た。

私が仙台にいたのは夫の転勤だったが、
元々、母方の叔父夫婦と祖母が仙台にいた。

「おばあちゃんもガンが見つかった!」

高齢で他の病気もあるため、
治療は負担がかかりすぎるので緩和メイン。
転移もあり、おそらく1年はもたない。

祖母には母のガンの話はまだしていなかった。
祖母も母と同じく看護師だったし、
母の病状を伝えれば
助からないことはすぐにわかる。
伝えるタイミングを母と叔母と相談していた。
それが、まさかのコレである。

おぉ、神よ…

「やっぱりクソかよ」

一体何だというのだ。

結局、どっちが先に死ぬかもわからないので、
早急に伝えることになった。

お互いそれぞれ頑張りましょう、と。


4月に母と母のウィッグを買いに行った。
髪は女の命である。

5月に母と母の葬儀やお墓を決めた。
死後、落ち込みテンパってる父に
ワケわからない式や墓を決められるより
自分で好きなものを先に決めておきたいと。

6月に母の遺影用写真を撮りに行った。
できるだけベストな状態で好きな服を着て
自然体で綺麗な笑顔の写真が母の希望だった。
すごく良い写真ができた。

そうやって、少しずつ
母の終活を進めていった。
とても大切なことだったけど、
いつも手伝いながら、
「死なないでよ」と思っていた。
言えるわけがないが。
一番死にたくなかったのは母だったのだから。


祖母は年は越せないのではないか
と言われていたが、危うさと復活を繰り返し、
なんとか年は越し、今年の3月に亡くなった。

母は最初、葬儀に行くと言っていたが
世の中は新型コロナで大変だ。
仮に母に感染すれば99.9%死ぬ。
というか、風邪をひくだけでも死にそうなのだ。
こんなご時世にこんな状態の母を
仙台に連れてはいけなかった。
母の代わりに私が行くことになった。

通夜の間、葬儀の間、火葬の間、
私は母を想っていた。

母はどんな気持ちで
この時間を家で過ごしているのか。
自分ももうじきだと思っているのか。

そのころから抗がん剤の効きがよくなく、
効果は高くないのに
副作用の味覚障害ばかり出ていた。

食べることが大好きなのに、
限られたもの以外苦くて不味いというのは、
どれほど苦痛だろう。

日に日に薬の効果が見込めなくなるのは
どれほど怖いだろう。

愛する猫たちを置いて逝かなければいけないのは
どれほど悲しいだろう。

弱音は吐かない人だったけど、
怖くなかったわけがない。
辛くなかったわけがない。
どれだけ痛くて苦しくて怖くて悲しいのか、
それを飲み込んで
どんな気持ちで毎日過ごしていたのだろう。

やたら寒い日で、火葬場の空気を感じながら、
そう遠くないうちにまたこの空気を味わうんだな
と、ぼんやり考えていた。


やっぱり涙は出なくて、
そのかわり悔しくて
頭の中で神様(仮)にさんざん悪態をついて
しこたま母に土産を買って東京に帰った。


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2020年08月23日

母の死 ②母の闘病とポンコツ親父

ガンの知らせから一週間、
老猫のイチがガンで亡くなったと連絡が来た。
うちは呪われているのか。

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いや、イチは19歳の長寿だったから大往生だ。


引越し準備も落ち着いて
引越しまであと数日というタイミングで
母から緊急入院の知らせがきた。

想定より進行が早く、
早急に治療が始まることになったが
父が医師の話をあまり理解できていない。
ひとまず入院して治療準備に入ると。

父よ、しっかりしてくれ。


引越当日、夕方東京に着き、
不動産屋で鍵を受け取り
最寄り駅の駐輪場の契約をし、
1泊予定の実家に行く前に
面会時間ギリギリで母のいる病院に行った。

最後母に会ったのは病気が判明する少し前。
1ヶ月半でこんなに激変するのか、
今死んでしまうのではないかと思うくらい
母の姿は変わっていた。
顔は土みたいな色で体はガリガリだった。

それでもお互い感傷的にはならない。
まずは現状確認と今後のすり合わせをする。

翌日から放射線治療が始まる、
効果がなければ余命はあと2か月ないくらい。
効果があれば抗がん剤治療が始まり、
抗がん剤の効果が高ければしばらくもつ。
その場合は目標半年、そして1年、
1年もったらまた半年、という感じだ。

…2ヶ月…おぉ、神よ…

「クソかよ」(再度)


結果的に放射線治療で
一時的にガンは小さくなった。
抗がん剤治療が始まり、
副作用や免疫力低下の様子を見るために
しばらく入院は続いた。


一方、親族間でもポンコツで名高い父…

自分でご飯を作れるようにならないといけないよ
2人暮らしなんだから
お母さんが動けなくなったら
お父さんがお母さんにご飯を作ってあげないと…
といつも父に言っていたが、
父はなにかと理由をつけていつも料理をしない。
母が帰ってきたら作ってもらう気でいるのだ。
当然のように。

さすがである。
母は死ぬかもしれないのに。

モヤモヤしている私に父が言った。

「お母さん治るといいね!」

…父は奇跡かなにかの話をしているのか。
ならば私も全力で願う。
治るといいね!
奇跡よ、起これ。

まぁ、残念ながら父は普通に言っているんだな。
父よ、医師の説明を思い出してくれ。
母は、治らないのだ。
比較的すぐ死ぬか、1.2年で死ぬかだ。
しかも最後の方は多分動けない。
1.2年を長いととるか短いととるか、
そこは人それぞれだろうが、
とにかく、治ることはないのだ。
そして父の思考回路も治らないのだろう。
どちらに関しても娘は非常に残念に思う。

さらに父が言う。
「僕の老後のお世話は
お母さんにしてもらえらると思ってた」

父よ、頭を冷やしてこい。
いや、冷やした方がいいのは私の頭か。
沸騰しそうだ。

この状況でよく言えたな。さすがだ。
その時、私がなんとか絞り出した言葉は

「残念だったね」

である。本当に残念だ。


こんな調子なので母が帰ってきてからも
母の怒りと苦労と私のモヤモヤは続いた。

これは
抗がん剤治療→効果が出なくなる→
新しい抗がん剤→効果が出なくなる
(抗がん剤がかわる度に入退院)
を何度か繰り返している間ずっと続いた。

父よ、しっかりしてくれ。





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2020年08月22日

母の死 ①始まり

1ヶ月前、最愛の母が死んだ。
ガンだった。

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まだ仙台にいた1年半前、
夜1人でポーチ用の布を裁断している時に
母からLINEが来た。

「元気?今日ガンが見つかりました」

と。

文面が頭に入った瞬間血の気が引いた。
何をしていいのかわからず、
裁断した生地をひたすらアイロンがけし続けたが
心臓がバクバクしすぎて上腕の感覚がなく、
まるで他人の腕が動いているようだった。
その間も全自動かと思うくらい
事務的に母とやりとりを続けた。

ガンの種類、転移の状況、
詳細は次週の検査でわかること。

ただ、その時点で判明してる情報だけでも
確実にステージⅣ、
ガンの種類的にも非常に進行が早く、
根治の見込みもないと理解した。

端的に言って絶望的だった。

ただ、母本人が
「できることを頑張るしかないから頑張る」
と言っていたので
私は頑張る母を頑張って支えようと思った。


納得はできなかった。

元々、1ヶ月後には
東京に戻れることになっていたのだ。
戻ったら店を再開して、
また母と買い物に行ったり、
美味しいものを食べに行こうと言っていた。
今度一緒に女神祭りに行こうと言っていた。

一緒にしたいことは山ほどあった。

なのに、どうして死ぬのか。
なぜ母なのか。

高校生の頃からずっと、
将来は母に恩返ししたいと思っていたのに。
家のことや持病で
たくさん苦労していた母をずっと見てきた。
せめて老後は楽をさせてあげたかったし、
たくさん楽しんで欲しかった。
あと数年で看護師の仕事も終えて
ゆっくりできるはずだった。
それはそれは素敵な老後ライフの予定だった。


老後がないとは聞いてねぇ。


私は無宗教だから
特別神様を信じてはいないけど、
もしあの場に神様がいて
私に見ることができたら、
きっとこう言っただろう。

「クソかよ」


バチってなんのためにあるんだ。
せめてその辺で発砲事件を起こしたやつとか、
女生徒に性的いやがらせをした教員とか
いじめで人を自殺に追いやったやつとか

…いるだろうが。他に。

美人でオシャレで仕事ができて
サッパリした性格で公正で、
猫が好きで努力家で
料理も掃除も裁縫も上手な
うちの母が何をしたと言うのだ。
デキスギくんか。

母の今生のミスといえば、
うちのポンコツ親父と結婚したことくらいだ。
それだって残念なだけで
別に責められることではない。

なのになぜ母が死ななければならないのか。

もう一度言える。

「クソかよ」

涙は出なかった。
この世の全てが理不尽に思えた。
うちの猫の理不尽さなんて可愛いものだ。
こんなことってない。
悔しかった。


最初の連絡から2週間経って
はじめて号泣した。






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2020年06月21日

一人アジサイ祭り


夏のような暑さが続いたり、
突然肌寒かったり…
天気が悪かったりしますが

コニギリは元気です。

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アジサイの季節まっさかりです。

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ピンクも良い…


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かなり濃い色のアジサイ。



大好きなガクアジサイもありました。

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八重が特に好き。


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クルンとなったのも可愛いです。
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以上、コニギリとアジサイでした!






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fumitagai at 08:24|Permalink

2020年04月30日

なんでこんなに久しぶりなのかって?

たまにスマホやPCのデータを整理すると、
アカウント履歴とか出なくなるでしょう?

あと、定期的にパスワードを
変えたりするでしょう?


そうするとね…

「途方もなくログインできなくなる」

という事件が起こることがある。

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お久しぶりです。

二子玉川の大部分を占める
アレとアレが営業を自粛してるので
いまだかつてないくらい
寂しい街になってます。

しかし、うちの店のお向かいでは、
テイクアウトの焼き鳥を売ってます。

焼き鳥10本2800円

ちなみに、うちの店は
ワンピ1着2690円。


2800円あったら何を買うか?

・ワンピース 1着
・猫のごはん 30個くらい
・お米 10キロ
・うまい棒 260本くらい

ざっと考えてこんなもんだろ。

なので、お向かいの店頭を見るたびに
すごくモヤモヤしております。


そんなわけで、

5月も自粛しつつ頑張りましょう!






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2020年03月04日

春が近づいて浮かれてるコニギリ


今、世間はコロナで大変…

…ですが、
コニギリは元気です。

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最近は梅や桃の花が咲き、

桜もつぼみが出てきました。

コニギリが浮かれています。

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梅の香り…

だが花粉症の私にはわからない

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しだれ梅もいいね。


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暖かい日差しが気持ちいいね。

だが私は紫外線アレルギーだ





まぁ、なにはともあれ、


杉を伐採してくれ


その後は速やかに

ヒノキも伐採してくれ





 

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2020年02月25日

毎年恒例 一人桜の菓子祭り


バレンタインが終わると

桜の菓子祭りだ。

塩味がちゃんときいてるのが好きだ。


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今年、個人的に
エンダァーーー♪

ってなったのは
桜ポッキー

桜の風味、塩のきき具合…
エンダァーーー♪

しいて難点をあげるとするなら、
ポッキーにしては高い。

あと、やわもち さくらもち味
yawamochisakuram


これは桜餅。
おいしかった。










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