バレンタインが近づく今日この頃、
母が死んで半年が過ぎた。


母がいない家は静かだ。

生きていた頃はあまり意識しなかったが、
音というのは視覚以上に
記憶に染み付くものなのだなと実感する。

トントントントン
と野菜を切る音、
カチャカチャガチャッカチャ
と食器や調理器具があたる音、
ガスッ!ガー、ゴス!と
リズミカルに掃除機をぶつける音、
タスタスタス…と歩く母の足音、
ジャーと水を出す音、
リビングからもれるラジオの音声、
ゴゥンゴゥンと洗濯機が回る音、
おやつを要求する猫の声、
それを秒で断る母の声、
それに逆ギレする猫の声、
それにキレる母の声、
その流れでついでに叱られる父…

どれも、特別なものではない。
毎日ただただ当たり前に聞こえる音だった。
意識して聞くこともない、
本当になんてことない雑音くらいの音だ。


正直、昔はうるさいと思うこともあった。

また朝から怒られてるのか、
今度は何をしたんだ父よ、いい加減学べ、と。

朝5時半くらいから聞こえる掃除機の音に
ノイローゼになるかと思ったこともある。


だが、今になって気付く。
雑音は大事だ。

それらの雑音がない世界。
朝まで酒を飲んで一人で帰路につく時の
静かな街を想像していただきたい。
普段ある活動の気配が感じられないアレだ。
アレ in おうち である。

端的にいってヤバい。
おもむろに猫だけ走り回ってたりすると
廃墟感が増してさらにヤバい。


気休めにいつも流していたラジオをつけると
幾分マシになるが、
それ以上何かが変わることはない。

そういう時に強く実感する。
母は「いない」のだと。

今までは話しかければ母の声が返ってきた。
質問すれば母が答えてくれた。
今は話しかけようにも母はいないし、
質問しても誰も答えてくれない。

無駄だとわかっていても、
話したいことはあるし、
聞きたいこともある。

どうして生きてる時に聞いておかなかったんだろう。

ねぇ、お母さん、

鍋の取っ手どこ?

-ypzegp~2


とにかく鍋の取っ手が見つからない。
こういうのにかぎって、
諦めて購入した翌日とか翌週に出てくる。
だから絶対に買いたくない。

母よ、
使ってない鍋の取っ手、
どこに隠しましたか?