あぁ猫よ。

日々の中で思ったことや猫のことをひっそり落書きと共に。

2021年02月

玉電砧線跡を散歩してみる 1

緊急事態宣言で遠出ができないので
出掛けたい欲求を散歩で発散している。

私は東京生まれ HIP HOP育たない
悪そな奴らはだいたい他人
というgratefulなdaysを過ごせる
ぐるぐるぐるぐるグルコサミン
の聖地みたいなところで育ったわけだが、
そんな地元は東急の聖地(?)でもある。

今は亡き玉川電鉄(東急に合併された)の
玉川線(通称玉電 渋谷~二子)…の支線「砧線」

これが地元人々に愛され、
廃線後もその存在をところどころ残してくれている。

↓この赤い線が砧線

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短い。
その距離2.2キロ。
歩ける。
元々、砂利を運ぶ路線だったが、
終点のわかもと製薬に勤める人の足として大活躍。
歩け。

まぁ、歩ける距離なので、
せっかくなので歩いてみた。

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まずは始点の二子玉川駅へ。

この辺りはやたら大きいベビーカーが多く、
油断すると後ろから轢かれる(体験済)

玉電の駅は現在の駅より少し北西で、
現在のドッグウッドプラザのスタバの辺りだ。
Mac民が仕事してる風に足を組んで時間を貪るより
電車が発着しているほうが風情があるのではないか?

ちなみに、
ここで足を組みながらコーヒーを飲み、
MacBookで仕事してる空気をかもし出しつつ
自宅レベルで長時間滞在している
ツーブロックでやたら足首を見せるスタイルの男は
大抵ろくなやつじゃない
…と私は認識している(偏見)

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とにかく、ここから発車した電車が、
それ曲がれますか?というくらいカーブして
砧線は二子の街をガタンゴトンする。

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ドッグウッドプラザの裏、田園都市線の真下を
かつて玉川線と砧線が通っていた。


 へ続く。


音が聞こえるということ

バレンタインが近づく今日この頃、
母が死んで半年が過ぎた。


母がいない家は静かだ。

生きていた頃はあまり意識しなかったが、
音というのは視覚以上に
記憶に染み付くものなのだなと実感する。

トントントントン
と野菜を切る音、
カチャカチャガチャッカチャ
と食器や調理器具があたる音、
ガスッ!ガー、ゴス!と
リズミカルに掃除機をぶつける音、
タスタスタス…と歩く母の足音、
ジャーと水を出す音、
リビングからもれるラジオの音声、
ゴゥンゴゥンと洗濯機が回る音、
おやつを要求する猫の声、
それを秒で断る母の声、
それに逆ギレする猫の声、
それにキレる母の声、
その流れでついでに叱られる父…

どれも、特別なものではない。
毎日ただただ当たり前に聞こえる音だった。
意識して聞くこともない、
本当になんてことない雑音くらいの音だ。


正直、昔はうるさいと思うこともあった。

また朝から怒られてるのか、
今度は何をしたんだ父よ、いい加減学べ、と。

朝5時半くらいから聞こえる掃除機の音に
ノイローゼになるかと思ったこともある。


だが、今になって気付く。
雑音は大事だ。

それらの雑音がない世界。
朝まで酒を飲んで一人で帰路につく時の
静かな街を想像していただきたい。
普段ある活動の気配が感じられないアレだ。
アレ in おうち である。

端的にいってヤバい。
おもむろに猫だけ走り回ってたりすると
廃墟感が増してさらにヤバい。


気休めにいつも流していたラジオをつけると
幾分マシになるが、
それ以上何かが変わることはない。

そういう時に強く実感する。
母は「いない」のだと。

今までは話しかければ母の声が返ってきた。
質問すれば母が答えてくれた。
今は話しかけようにも母はいないし、
質問しても誰も答えてくれない。

無駄だとわかっていても、
話したいことはあるし、
聞きたいこともある。

どうして生きてる時に聞いておかなかったんだろう。

ねぇ、お母さん、

鍋の取っ手どこ?

-ypzegp~2


とにかく鍋の取っ手が見つからない。
こういうのにかぎって、
諦めて購入した翌日とか翌週に出てくる。
だから絶対に買いたくない。

母よ、
使ってない鍋の取っ手、
どこに隠しましたか?


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