あぁ猫よ。

日々の中で思ったことや猫のことをひっそり落書きと共に。

玉電砧線跡を散策してみる 5


砧線跡を散策してみる第5回 

砧線の最終回

吉沢の交差点を渡って地図の⑩、⑪


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交差点を渡ると野川いう川が流れている

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野川にかかる吉沢橋の真ん中に
砧線のレリーフがある。

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橋を渡って道を直進する。
かつて線路だった場所は現在はバス通り。

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当時の終点にあった製薬会社の土地には
駒澤大学のグラウンドがある。

突き当り右、当時の終点駅地点がバスの終点。

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停留所も当時の駅のホームの屋根などが再利用されている。

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砧線は廃線になった現在も地元住民に愛され続けている。




番外

地図の⑧にある元蕎麦屋の大勝庵。

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オーナーさんが玉電を愛しすぎてできた
玉電の博物館的なところだ。

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二子玉川に遊びに来たら
ぜひ砧線跡を散歩してみてほしい。











玉電砧線跡を散策してみる 4

とても久しぶりの更新です。

砧線跡を散策してみる第4回
 
 
歩道のタイルの模様が切り替わるあたりに
玉電のマンホールがある。
 
とても可愛い。 
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マンホール好きな人は
是非ここまで足を運んで欲しい。


少し歩くと、
「なんでこれ作った?」
と思える微妙に気持ち悪い像がある。
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本当になんでこれ作った?
不穏である。

そのまま進むとファミマの手前あたりに
ベンチやガードレールがある。
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この青いレールの部分は
砧線の線路をそのまま使っている。

住民はこれが一体何なのか大抵知らない。

そこ辺りからまた歩道の模様が変わる。
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せーんろはつづくーよー

細い線路柄の歩道がスーパーまで続く。

そのままさらに進み
遊歩道の終わりが吉沢交差点。
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砧線の吉沢駅の跡地が遊歩道のおわり。
この先は橋を渡るので
また次回!




玉電砧線跡を散策してみる 3

砧線跡を散策してみる第3回は
地図④~⑤の遊歩道を紹介する。


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信用金庫と、某ハーマンの間の道を進むと
地図④の遊歩道がある。

遊歩道の入り口の足下に
中耕地駅への目印タイルがある。

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ここは花みずき通りといって、
線路跡がそのまま遊歩道になっている。

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タイルの並びが線路を模しているので、
電車の気持ちになって歩きたい人?は頑張れ。
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せーんろはつづくーよー
な感じの歩道を進むと、微妙に開けたところがある。

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これが、かつて中耕地駅だったところ。
(地図⑤)

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駅跡としては土地の形も面影がある。
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当時の駅の様子がタイルに描かれている。
ちなみにこのタイル、
なぜか向かいの店が真上で
肉の丸焼きをグリルするようになって
現在は煤と油で真っ黒である。

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やめろ。そこは貴店の土地ではないぞ。
そのタイルは区民の財産なんだぞ。
せめて毎回タイルを拭いてください。
拭け。


玉電砧線跡を散歩してみる 2

前回、玉電砧線跡を散歩してみる 1では
スタート地点(地図の①)しか紹介してないので
ここから散策紹介。

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ドッグウッドプラザの裏の線路下に
駐輪場がある。
玉電の線路跡に建物ができてしまっているため、
本来の線路跡より道がカクカクしている。
途中、左に駐車場(地図②)があるが、
そこに線路の柵が残っている。

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結構、雑な感じで残っている。

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そのまま歩き、「二子玉川イン」という
かつて連れ込み宿だったビジネスホテルを左折。

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ある意味風情がある。
7000円くらいで泊まれるので
高島屋の物産展の出展者の人には優しい。

*追記 2021,3,31に閉業しました

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すぐに大きい道路にぶつかるので渡る。
この世田谷信用金庫の右側の細い道が
砧線の順路だが、右に少し行くと、
かつて溝ノ口線が通っていた多摩川を渡る
旧二子橋の親柱(地図③)がある。

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そこから元の交差点に戻って、線路跡を進む。


次回 3 遊歩道編



玉電砧線跡を散歩してみる 1

緊急事態宣言で遠出ができないので
出掛けたい欲求を散歩で発散している。

私は東京生まれ HIP HOP育たない
悪そな奴らはだいたい他人
というgratefulなdaysを過ごせる
ぐるぐるぐるぐるグルコサミン
の聖地みたいなところで育ったわけだが、
そんな地元は東急の聖地(?)でもある。

今は亡き玉川電鉄(東急に合併された)の
玉川線(通称玉電 渋谷~二子)…の支線「砧線」

これが地元人々に愛され、
廃線後もその存在をところどころ残してくれている。

↓この赤い線が砧線

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短い。
その距離2.2キロ。
歩ける。
元々、砂利を運ぶ路線だったが、
終点のわかもと製薬に勤める人の足として大活躍。
歩け。

まぁ、歩ける距離なので、
せっかくなので歩いてみた。

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まずは始点の二子玉川駅へ。

この辺りはやたら大きいベビーカーが多く、
油断すると後ろから轢かれる(体験済)

玉電の駅は現在の駅より少し北西で、
現在のドッグウッドプラザのスタバの辺りだ。
Mac民が仕事してる風に足を組んで時間を貪るより
電車が発着しているほうが風情があるのではないか?

ちなみに、
ここで足を組みながらコーヒーを飲み、
MacBookで仕事してる空気をかもし出しつつ
自宅レベルで長時間滞在している
ツーブロックでやたら足首を見せるスタイルの男は
大抵ろくなやつじゃない
…と私は認識している(偏見)

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とにかく、ここから発車した電車が、
それ曲がれますか?というくらいカーブして
砧線は二子の街をガタンゴトンする。

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ドッグウッドプラザの裏、田園都市線の真下を
かつて玉川線と砧線が通っていた。


 へ続く。


音が聞こえるということ

バレンタインが近づく今日この頃、
母が死んで半年が過ぎた。


母がいない家は静かだ。

生きていた頃はあまり意識しなかったが、
音というのは視覚以上に
記憶に染み付くものなのだなと実感する。

トントントントン
と野菜を切る音、
カチャカチャガチャッカチャ
と食器や調理器具があたる音、
ガスッ!ガー、ゴス!と
リズミカルに掃除機をぶつける音、
タスタスタス…と歩く母の足音、
ジャーと水を出す音、
リビングからもれるラジオの音声、
ゴゥンゴゥンと洗濯機が回る音、
おやつを要求する猫の声、
それを秒で断る母の声、
それに逆ギレする猫の声、
それにキレる母の声、
その流れでついでに叱られる父…

どれも、特別なものではない。
毎日ただただ当たり前に聞こえる音だった。
意識して聞くこともない、
本当になんてことない雑音くらいの音だ。


正直、昔はうるさいと思うこともあった。

また朝から怒られてるのか、
今度は何をしたんだ父よ、いい加減学べ、と。

朝5時半くらいから聞こえる掃除機の音に
ノイローゼになるかと思ったこともある。


だが、今になって気付く。
雑音は大事だ。

それらの雑音がない世界。
朝まで酒を飲んで一人で帰路につく時の
静かな街を想像していただきたい。
普段ある活動の気配が感じられないアレだ。
アレ in おうち である。

端的にいってヤバい。
おもむろに猫だけ走り回ってたりすると
廃墟感が増してさらにヤバい。


気休めにいつも流していたラジオをつけると
幾分マシになるが、
それ以上何かが変わることはない。

そういう時に強く実感する。
母は「いない」のだと。

今までは話しかければ母の声が返ってきた。
質問すれば母が答えてくれた。
今は話しかけようにも母はいないし、
質問しても誰も答えてくれない。

無駄だとわかっていても、
話したいことはあるし、
聞きたいこともある。

どうして生きてる時に聞いておかなかったんだろう。

ねぇ、お母さん、

鍋の取っ手どこ?

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とにかく鍋の取っ手が見つからない。
こういうのにかぎって、
諦めて購入した翌日とか翌週に出てくる。
だから絶対に買いたくない。

母よ、
使ってない鍋の取っ手、
どこに隠しましたか?


母の死 ⑥母がいない(ラスト)

家に帰るとフミが玄関で出迎えてくれる。
ごめんね、お母さんもう帰ってこないんだ。

2階に上がるとテンちゃんが撫で待ちしている。
ごめんね、お母さんもう撫でてくれないんだ。

猫は母が死んだことなんて知らない。
猫はもう母に会えないし、
母ももう猫に会えない。

ごめんね、としか言ってやれなかった。
それがどうしようもなく悲しかった。


父は、ボーッとしてしまって何も手につかない。
想定の範囲内だ。
親族と知人に死亡の連絡をし、
予約していた葬儀社と打合せをする。

火葬場が混んでいて、葬儀は少し先になった。
遺体が劣化してしまう。
オシャレが好きな人だったから、
最後は絶対に綺麗にしてあげたい。
エンバーミングはつけよう。
高いけどこれは譲れない。


エンバーミング用に母の化粧品を持っていったり
棺の母に会いに行ったり
棺に入れるものを準備しているうちに
葬儀の日を迎えた。

母は抗がん剤の副作用の味覚障害で
半年ほど好きなものを食べられなかった。
好きな食べ物を思い付くだけ買って
前日に綺麗な和紙に包んで
葬儀当日に棺に入れた。
食いしん坊みたいになった。

母は葬儀で使うような花が
あまり好きじゃなかったから、
母の好きな花と
母の実家の近くに昔生えていた花を買って
棺に足した。
明るくて楽しげな雰囲気になった。

生前撮りに行ったデータで作った遺影は
とても綺麗で優しい顔をしていた。
撮りに行っておいて良かった。

無宗教でお坊さんや読経はないので、
母が好きだったボサノバをかけた。
穏やかな空間の式になった。

最後、棺にカラーマジックで
母へのメッセージと猫の絵を描いた。
病院では声にならなかったから、
感謝の気持ちと別れの言葉をたくさん書いた。

仙台の時と違い、火葬場の火力が強いので
母はすぐに骨になってしまった。

骨を拾う時に大きいチタンの人工関節や
ボルトが出てきた。
こんなものを入れないと母は生活ができなかった。
20回も手術をしていた。
なぜ、この苦労が報われないのか。
骨を拾いながら、また悔しくなった。

母の葬儀が終わると、梅雨が開けた。


私にとって骨壺は母ではない。
骨は骨でそこに母はいない。
返事もしてくれないし、
仮に骨に魂が縛られてしまっていたら
いずれ埋められてしまうので気の毒だ。

だから、母はもうどこにもいないのだ。

母が使いやすいようにリフォームして
調理台ばかりバカでかい変なLDKにも、
寝室のベッドにも、
いつも座ってる椅子にも、
一緒に買い物に行ったデパートにも、
共に過ごした街にも、
誇りを持って働いていた職場に通う道にも、
みんなで散歩をした道にも、
どこにもいなくなってしまった。

目に入る場所はどこもかしこも母がいた場所なのに
母がいた痕跡はたくさんあるのに、
そのどこにも母がいない。

あと何十年かはいるはずだったのに、
なぜ母はここにいないのだろう。

母がいた時に聞こえていた生活音がしないから
実家にいるのに違和感しかなかった。

それでも生前母に頼まれていたから、
毎日母の遺品整理と実家の断捨離をした。
妹もちょくちょく来て手伝ってくれる。

よく服を一緒に買いに行っていたので
どの洋服を見ても見覚えがあり、
一緒に買った記憶がある。
着ていたシーンもやりとりも覚えていて、
記憶は微笑ましいのに肝心の母はいない。

これが人が死ぬということなのだ。


母の代わりにはなれないけど、
できるだけ猫を呼ぶ。

テンちゃんを撫でる。
テンちゃんはゴロゴロ喉を鳴らす。
フミを呼ぶ。
フミは私が呼ぶと怒る。
でも無視しても怒るから、母の分も呼ぶ。

フミ、テンちゃん、お母さんいないね。
いなくなっちゃったね。
でもずっと大切にするから、長生きしてね。
それでいつか、天国的なところに行くなら、
その時はお母さんによろしくね。



母はまだ死ぬには若かったと思う。
私は今でも悔しいと思っているし、
もしも神様がいて見えたなら、
やはり同じことを言うだろう。

「クソかよ」


それでも、死ぬまでにたくさんの準備ができた。
残りの時間は大切に噛み締めることができた。
母の希望に沿うことができた。
取り乱すことなく、母に寄り添うことができた。

だからそれほど後悔はない。
だがクソである。
こんなに悲しいことはない。


なにはともあれ、
母の子どもとして産まれたことに感謝する。
育ててくれたことに感謝する。
頼ってくれたことに、遺してくれたものに、
母の全てに感謝する。

どうか、安らかに。
変な言い方だけど、お元気で。
お母さん、今までずっとありがとう。

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母の死 ⑤死

母が救急車で病院に運ばれた翌日、
風呂を出て、晩ごはんを食べようという時に
病院から電話がかかってきた。

脈と呼吸の値が下がってきて
もしかしたら危ないかもしれない。
…と。

急いで支度をして、父と車に乗り、
途中、妹を拾って病院に向かった。

病室の母はひどく苦しそうだったが、
意識は辛うじてあった。
少し会話をすると、受け答えがキツくなってきた。

母が必死に何かを伝えようとするのだが、
酸素マスクが邪魔だし、
先ほどから泥酔した人のように
色んなものの区別がつかなくなってきている。
そんな状態でなかなか聞けない。

「なぁに?ゆっくりでいいよ?」
と声をかけると

「先生に…言って…」
と返ってきた。
何を言うのだろう。
どこか苦しさに変化があったのか、
モルヒネの依頼か。

「うん、言うよ。なんて言えばいい?」

「ねこ…猫が、2匹いますって…」

…猫?

「猫のこと…ちゃんと伝えて。オスとメスで…」

もうゴチャゴチャなんだなと察した。
先生は医師で獣医さんではない。
意識が混濁してきて、
夢と現実と色んな情報が混ざってる。
それでも、とにかく猫が心配なのだ。
なんとか猫のことを伝えなくてはという、
母の強い意思がギリギリ母の口を動かしてる。

「うん、伝えるよ。猫が2匹いますって
 大丈夫、ちゃんと伝えるし、ずっとお世話するよ」

母が動きを止める。
ここに私たちがいると、
きっと母はずっと頑張ってしまう。
私たちは母に、
「おやすみ」と言って病室を出た。
妹はずっと涙を流していた。


夜の10時になろうとしていた。
実家にも妹の家にも猫がいる。
母がどれだけもつのかはわからないが、
猫に翌朝の朝ごはんは必要だ。
なので病院に私が残り、
それぞれの家主は一度帰ることになった。

常夜灯が思いの外明るく、
母の表情がよく見える。
苦しいのだろう、
呼吸に辛そうな声が混ざっており、
無意識に両手を顔の前で何度も動かしている。

夜中の2時くらいになると
苦しそうな呼吸がなくなった。
ゆっくり静かに息をしている。
動かしていた手も止まって下ろしていた。

とても静かだった。
動きもなく、呼吸もゆっくりすぎて、
生きているのかよくわからなくなってきた。

ベッド横の生体情報モニタの数字が
母がまだ生きてる証のようだった。
その数字が少しずつ小さくなっていく。
あぁ、終える準備なんだな…と
画面をずっとボンヤリ眺めていた。

朝方、脈が40を切り呼吸が一桁になる。
家族に電話をした。


家族を待っている間、医師が、
聴覚は最後まで残りやすいと言われてるから、
声をかけてあげていいですよ
…と言っていたのだが、
これが、驚くほど声がでない。

おい、誰だドラマや漫画で
「おかぁさーーーーん!!!!!」
みたいに泣き叫んでたやつ。

出ない出ない。
何度話しかけようとしても震えて
かすれて全く声にならない。

これだけは言っておかないとと思い、
なんとか絞り出して、ようやく

「お母さんありがとね」

と一言だけ言えた。
空気かよ。と思うくらい、
我ながらひどい声だった。
しかもその瞬間、母の呼吸が0になってしまった。

焦った。

…おい、先生、
声をかけたら呼吸が止まったぞ?
本当にこれは正解なのか?

看護師さんが急いできて
酸素濃度を上げる。
これで生存確認は脈のみになってしまった。

その脈もどんどん減っていく。

待ってよお母さん、
もうすぐ父と妹が着くんだよ。
もう少しだけ待ってよ。頼むよ。

死なないでとは思えなかった。
だってこれは絶対死ぬやつなのだ。
でも、あと少しだけ待ってほしかった。
母の指を握って、
例の声にならない声で、
何度も小さく「待って」と繰り返した。

モニタの数字が0になって、
装置からけたたましくアラームが鳴る。
他のところでもコールがあるのか、
看護師さんはまだ来ない。
アラームがうるさい。

雨が降りだした。

雨の音が気になるが、
とにかくアラームがうるさい。
母はまだ温かいけど、
脈も呼吸も0だ。
頸動脈に手を当ててもピクリともしない。
音の止め方がわからない。

…アラームがうるせぇ。

ずっと
「死んだよーーー!!!」
と言われているみたいで
このアラームが不快でたまらない。

目覚まし時計のごとく壊してやろうかと
衝動的にモニタに近寄ったところで
ようやく急いだ様子の看護師さんが来た。


母は心停止の際は蘇生活動はしなくていいと
誓約書にもサインをしていたので、
そのままご臨終となった。


少しして父と妹が到着した。
母はまだ少し温かかった。


色々と手続きをして、
母の支度を整え、寝台車に乗せる頃には、
さっきまで降っていた雨が止んで、
アホみたいに晴れていた。

太陽が出て朝露がきらきらして、
外は少し眩しかった。

…人生の門出かなにかか?

死んだタイミングで雨が降りだし、
出発のタイミングで晴れわたる。
なんかすごく理不尽な気がしてきた。

なんの門出だ?(クソかよ)


久しぶりの徹夜と謎の不条理さが相まって
なんだかとても疲れた。

朝日が、朝露に反射しまくる光が、
晴れ渡る空が、徹夜明けの目にしみる。
涙はまだ出ない。

ひどい気分だった。


帰って猫に伝えなければ。

フミ、テンちゃん、
お母さん死んじゃったよ。


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